「世界を放棄する」新しい運動は、主として、しかし専らではなく、ヒンズー教あるいは仏教の変化形または派生形であり、それらの宗教において一般的に、この方向性は優勢です。 いくつかの(しかしすべてではない)新しいキリスト教原理主義者の団体もまた、世界の放棄が優勢な風潮の枠内で活動しています。 これらの宗教の信者たちは一般に、現代の物質的な西洋の価値観を放棄します。 彼らは、共同体の、そして多分、共産社会の一員の生活様式さえ当然だと思うかもしれませんし、東洋起源の新宗教においては、熱狂的信者は一般的に西洋人には異質の概念を採用します。 彼らは、いくつかのケースにおいて、礼拝のために東洋の言語を学ぶかもしれませんし、性行為や社会的関係、食事、そして着る服にさえも影響を与える他のタブーや禁令を選んで、西洋の社会習慣やしきたりを放棄します。 クリシュナ意識国際協会(ハーレ・クリシュナ運動)は多分このタイプの中で最も目立つ運動ですが、いくらか同じ傾向はディヴァイン・ライト・ミッションの中にも見られますし、キリスト教であることを主張している統一教会(ムーニーズ)にも見られます。
いくつかの「世界を放棄する」運動はこの方向性の特性があり、「全体主義的」傾向、すなわち、信者たちが自らを完全に信仰に捧げ、完全に献身することを期待する傾向があり、生活のあらゆる部分が信奉する信仰に沿うように命令されます。 このことはもちろん、運動が信者に共同体の生活様式を取り入れることを期待する場合に最も容易に達成されます。 多くの点で、そのような必要条件は、修道会(キリスト教であれ仏教であれ)のメンバーへ要求されるものと近い類似性があります。 共同生活が達成する広い社会からの完全な離脱を提唱するところまでには至らない、「世界を放棄する」宗教があります。 これらの運動は一般的に、形而上学の包括的な、そして往々にして複雑な体系を提供し、その内部で信者は、人生の究極的な意義、目的に関する問題に対して、知的な解答を見付けるように指示されます。 より上級レベルの形而上学の教えは秘密にされていることは稀ではなく、熟達者のみが利用できます。 この種の宗教は神智学、人智学、グルジェフ主義を含みます。 神秘主義の系統は、社会から引き下がる要素も明らかだとはいえ、社会的利益のための活動を常に排除するわけではなく、人智学者たちによって維持されている障害児教育施設はこの点を雄弁に物語っています。