以下は、宗教と見なされる運動、組織あるいは教えの体系として恐らくは認めることができる項目の一覧です。 通常どの事例においても、これらの項目すべてが認められるわけではありませんが、特定の信仰と実践の集合体が宗教の地位を獲得するには、どの割合で項目が存在する必要があるのかを決定するでしょう。 宗教が生まれた非常に長い人間の歴史の期間を考えれば、その一覧は必然的に多様な傾向を反映します。一極端からもう一方の極端まで、非常に具体的な魔術的なものから、主要な宗教的関心事と本質の比較的抽象的で洗練された、または神秘的とも言える概念まで、多様な宗教的観念の洗練度が反映されています。 事例の性質上、また、熱心な信者たちの内部的多様性と多様な洗練度を考慮に入れたとしても、両種類の方向性を同程度に含んでいそうな宗教はありそうにありません。 故に、その確率的一覧のすべての項目を100%満たして宗教の資格に足り得る宗教がなさそうなことは明らかです。 宗教が恐らく持っているだろう特徴は以下の通りです。
(1) 通常の感覚的知覚作用を超越し、全く仮定的な精神的存在の理法さえも含む媒介者への信仰
(2) そのような媒介者は自然界や社会秩序に影響を及ぼすだけでなく、それに直接働きかけたり、またつくり出したかもしれない信仰
(3) 過去のある時点で、人間生活への超自然的な事象の介入が明らかに起こったという信仰
(4) 超自然的媒介者が、人間の歴史ならびに運命を監視してきたと見なす信仰。 これらの媒介者が擬人的に描写される時、特定の目的を持つ者と信じられるのが普通である
(5) 現世ならびに来世における人間の運命は、これらの超越的媒介者が設定し、あるいはそれへの主従関係に依存する、ということを保持する信仰
(6) 超越的媒介者が気まぐれに人間個人の運命を指図する一方、その個人は規定された通りに行動することによって、現世または来世、あるいは双方の世界における自己の体験に影響を及ぼすことができる(一定不変というわけではないが)と信じられる信仰
(7) 個人、集団あるいは代表者の実践のために規定された行動、すなわち儀式
(8) 個人または団体が、超自然的力の源に特別な支援を嘆願するという、和解的行動の要素が(高度に発達した宗教にさえ)持続すること
(9) 通常、その信仰の超自然的媒介者を象徴する表象の現存する場所において、信者によって帰依、感謝、従順、または服従の表現が捧げられるか、またある場合は信者に要求されること
(10) 特に超自然のものと同一視された言語や、対象物、場所、寺院、季節が神聖視され、それ自身が崇拝の対象となることもある
(11) 儀式や顕示、奉献の表現、祝い事、断食、集団懺悔(ざんげ)、巡礼などだけでなく、神格、予言者あるいは偉大な教師の地上での生活における再演や、記念日やエピソードなどが定期的に演出されること
(12) 礼拝や教えの顕示が、共同体や善意、交わりならびに同胞意識という人間関係を肌で感じさせる機会を与えること
(13) 道徳律がしばしば信者に義務として課せられること。それが言及する領域はさまざまではあるが、時には戒律的ならびに儀式的条件として表現されたり、時には不特定の高尚な倫理精神という形で提示されることもある
(14) 規範的に要求される目標への真剣さ、永続する確信、そして全生涯にわたる自己献身
(15) 信者は能力に従って、因果応報の道徳的取引が付随する利益または損失を累積するというもの。 行為と結果との間の厳密な関連は、所与の原因による自動的影響というものから、個人の損失は献身や儀式的行為、告白、悔い改め、あるいは超自然的媒介者の特別な執り成しによって帳消しにされるという信仰に至るまでさまざまである
(16) 普通は宗教職務担当者という特別な階級があって、神聖な事物、聖典ならびに場所の管理者として仕える。また教義、儀式ならびに教区の指導などの専門家の階級もある
(17) そのような専門家は普通、貢ぎ物として、あるいは特定の機能に対するお礼として、あるいは制度の俸給として、務めへの報酬を受ける
(18) 専門家が教義の体系に自らを没頭させる時、普通、宗教的知識がすべての問題に解決策を与え、人生の意味と目的が説明されるという主張がなされる。そしてしばしば、物理的宇宙ならびに人間心理学の起源や活動が説明される、ということも付随する
(19) 啓示や伝統に関する宗教的知識ならびに機構/制度の正当性が主張される。つまり革新とは大概復興として正当化される
(20) 教義が真理である、および儀式が効果を持つという主張は、目標とするものが究極的には超越であり、目標および達成のために推奨される任意の手段には信仰が要求されるので、経験を主眼としたテストの対象となることはない